>まちおこしレポート>子どもたちに「巖內なんて」と言わせない!次の世代に私ができること

まちおこしレポート
巖內町

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皆さんは後志管內にある巖內町をご存じですか?
日本海に面し、海の幸が豊かだという他は、一見何の変哲も無い、どこにでもある靜かな港町です。

しかし、その人の目にはこのまちが全く違うものに見えているらしいのです。
その人の名前は、目黒沙彌さん。札幌出身ですが、20代の早いうちに日本を飛び出し、世界を2周した後、北海道の巖內町に居を定めました。現在は、巖內町初の地域専門ツアー會社の代表を務めます。
世界中を見て來た目黒さんの目に巖內はどんな風に映ったのか、「探していたものはここにあった!!」とまで言わせるものは何だったのか。さっそく詳しく聞いてみたいと思います。

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くりくりと良く動く目がとても印象的な目黒さん。まずは子供の頃のことから聞いてみました。
?とにかく體を動かすのが好きでしたね?と言うとおり、何と3歳で地元のスキーチームに所屬します。そこから練習を積み重ね、16歳のときには?もっと強くなりたい?と、オリンピック選手を輩出するような強豪チームに移籍してさらにギアを上げ、全日本の試合や、USセレクションという全米大會に出たりと海外遠征含めスキーの上達に全てを捧げる日々。しかしそんな毎日にある日、ふと疑問を感じたと言います。

(C) Yuhei Yamada
?悲観したわけではなく、俯瞰で見えてしまった、という感じですかね?と當時の気持ちを表現してくれました。
無我夢中で打ち込んできたけど、ふとこの先の展望が見えてしまった、ということでしょうか。一度そう思ったら切り替えの早い目黒さん。3歳から続けてきたスキーから180度方向転換し、今度は受験勉強に邁進します。
?今からでも遅くない。もう一つの夢に向かってチャレンジしてみよう?と、目指したのは何と北海道大學のある學部。3年生からの編入試験突破を目標に、1日16時間の猛勉強を始めます。相當な難関である筆記試験は見事に通過します。が、面接ではまさかの不合格に。
?當時の大學に所屬しながら仮面浪人をするという狀況だったので、もし不合格だったら全て辭めよう、チャンスは一度だけ、と決めていました?
そこまでの決意で臨んだ試験に落ちた目黒さん、人生初の大きな挫折を味わいます。
?東京でジブリのロケ地を巡ったりとか、しばらく放心狀態でさまよってましたね?と、今は笑顔で語ってくれますが、當時のショックの大きさがよくわかります。
そんな狀況の中、ある、新聞社などを手がけていた広告代理店社長からうちで働かないかというオファーが來ます。それは以前に一度だけ會ったことのある社長でした。會った時から、人間的にすごく大きな人だな!この人の下で働いたら面白いだろうなと思っていたという目黒さんにとって、まさに渡りに舟。でもこのオファーは偶然ではなかったのです。
昔からあまり恐いものはないと言う目黒さん。?何か知りたいと思ったり、この人に話を聞いてみたいと思ったら、その人がどんな地位の人とかあまり考えずに聞きに行ってました(笑)。在學時には、學生団體を主催していた関係で、そのスポンサー集めで企業まわりなどもしていました?と語ってくれたように、人と積極的につながろうとする動きが、その広告代理店社長との縁につながったのに違いありません。

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心機一転、その社長のもとで社會人としてのスタートを切ることにした目黒さん。その時弱冠20歳。 今に繋がる様々な経験や、出會いをそこで得ることになります。

こちらがIWANAI UNITED代表 目黒沙彌さん
その広告代理店に入社してみると、想像とは違う日々が待っていました。
?最初に社長から出された課題は、當時流行っていたクーポンサイトの契約を、もう一人の新人と2人で100件とって來い、というものでした。しかもとれなければ首という條件付きで!?
そんな無謀とも思える課題にも果敢に挑み、?意外とぽんぽん契約がとれたんですよね?と本人が言うように、かなり善戦した目黒さん。
しかし、いくら善戦と言えどもさすがに100件には到達せず、首を覚悟したそう。すると社長は?おまえは大きくなるやつだ。ずっとそばにいて見てろ?と日頃の業務や、他の社長とのつきあいなど、仕事の全てを隠さず見せてくれたそう。?一流の人に會って、一流のものを食べろ?。そんな言葉とともに、帝王學とも呼ぶべき教えを間近で受ける貴重な日々を過ごします。
そもそも、100件の契約を取ってこいと言う課題も、契約を取らせることが目的では無く、もちろん首にすることが目的でも無かったはず。そんな狀況を自力でどう打開するのかを試されたのでしょう。

そうして半年間ほどたった頃、ついに?何でもいいから事業を立ち上げてみろ?という最終課題が出されます。?ある程度のお金は使っても良いし、もし失敗したら俺が責任をとる。自分が100%自信を持ってやれると思うものを立ち上げてみろ?という今までとは比較にならない重いテーマを課されます。責任の大きさに、20歳の目黒さん、さすがに悩み、迷います。

?自由ってこんなに難しいんだって思いました?

その一言に、當時の苦悩が想像できます。責任を伴う自由がどれだけ難しいか、身にしみたそうです。


企畫を立てては捨て、立てては破綻し、結局自分の納得できる事業をカタチに出來なかった目黒さん。社長に呼ばれて、全然ダメじゃん、っと言われた瞬間に、?もう辭めます!!!?と自分でも思ってもみなかった言葉が涙と一緒に吹き出したそう。でもそこで社長は引き留めるわけでも、怒るわけでも無くこう言いました。
「このまま辭めたらトラウマしか殘らないから、殘り1ヶ月でとりあえず年越し蕎麥売ってみろ、自分の給料分売ってみろ?と。ちょうど師走の時期であり、グループ會社の商品であるそばを売ることによって、自分のもらう給料分くらいは自分で稼ぐ體感をして、自信をつけてから辭めろ、ということを言いたかったのでしょう。結局1ヶ月間であらゆる方法で給料分以上の売上をあげ、社長からは?良くやったな?と送り出してもらったのでした。

?言葉にできないくらいたくさんの事を學ばせてもらって、辭めるときは感謝しかなかったですね。絶対に社長に恩返しできる人間になると誓いました。それを言ったら『いらん、おまえに恩返しなんかされたくない』と言われましたけどね(笑)。でもそのあとに言われた『俺じゃなくて、次の世代にしてやれ』という言葉が、その後の自分の方向を決めました?

その言葉通り、目黒さんは後に、自分のできる恩返しとして、子ども達へのアプローチを色々と実施していくことになるのですが、そこにたどり著く迄にはまだまだ長い道のりがあったのでした。その道のりについても詳しく聞いてみます。

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新聞社を辭めた後、ずっと憧れていた世界一周の旅に出た目黒さん、そこで気づいたのは、自分が日本のことを何も知らないのだな、ということでした。
?海外の人と接すれば接するほど、自分が教科書に載ってるような薄っぺらい知識しかないんだと思い知りました。ずっと海外に出たい出たいと思っていたし、その當時はあまり日本のことを好きじゃなかったのかもしれません。でも1年かけて海外を旅するうちに、日本に興味を持ってくれている人たちと接するうちに、日本ってとても素敵な國なんだな、と気づかせてもらいました?

ネパールのアンナプルにて

帰國した目黒さん、今度は日本の事を知るべく、何と日本縦斷ヒッチハイクの旅にでます。
?北海道から沖縄までくまなく行って見て、辺鄙(へんぴ)と言われるところも行って見て、よし、少しは自分なりに日本のことを語れるようになったぞ!という狀態で再び、世界1周の旅に出ました?

え!、また世界一周!? 話が急展開過ぎて取材陣の筆も追いつきません。。(笑)

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結局30カ國以上を訪れたという目黒さん、さてそろそろ旅も終盤という頃、またしても今まで培った縁によって、仕事のオファーが舞い込みます。
それが、?英語が話せて、フットワークの軽い人材を探しているけど、うちで働いてみないか?という、巖內町にあるIWANAI RESORTの外國人社長からの誘いでした。
?その時は、旅をしながらWEBでの情報発信で収入を得ていたので、世界中、気に入ったところなら住む場所にこだわりはありませんでした?という目黒さんは、帰國後、とりあえずという気持ちで巖內の地を訪れてみたのでした。これがその後の人生を決める出會いとなります。
IWANAI RESORTのスキー場からの景色

住めば住むほど巖內の魅力に気づくことになるのですが、まず最初に、目黒さんを虜にしたのが、IWANAI RESORTのスキー場から見た息を飲むようなオーシャンビューでした。まるで真っ青な日本海に飛び込むかのように極上のパウダースノーを滑り降りる感覚は、世界のどこでも得られなかった感動だったそう。
?見た瞬間、ここだ、ここにあったんだ!と思いました?

今までお世話になった人への恩返しも込めて、巖內の魅力を発信する會社を設立

こうして巖內の地に移住しIWANAI RESORTで働き始めた目黒さん、豊かな自然や食だけでなく、次第にそこに住む人たちの気質にも魅了されていったと言います。
?巖內の人は良い意味で思い切りが良く、人のために動ける人が多い気がします。その飾らないまっすぐな優しさが大好きです。だからおもてなしやおすそ分け文化もすごくて、メロンや魚がどんどん家に屆いて、魚なんかずっと買ったことないんですよ(笑)。
このまちは古くから脈々と受け継がれている文化や習慣、歴史をもち、また獨特の気質みたいなものもあります。65年前にまちの家屋の80%が消失するような大火災があったのですが、ものすごいスピードで復興したそうです。訴訟問題も一切無く、とにかくみんなで助け合って。災害自體は悲慘なことだけど、このエピソードはここの人の気質をとても表しているという人もいて、それがすごく分かるんです?と巖內の話になるととまらない目黒さん、このまちがとても好きなことが伝わってきます。

そんな巖內の人たちへの恩返しと、かつて勤めた広告代理店の社長に誓った、次の世代への恩返し、という目的のため、獨立していよいよ立ち上げたのが、?IWANAI UNITED?でした。巖宇(巖內町?泊村?共和町?神恵內村の2町2村を含む地域の総稱)地域を訪れる主に外國人へのサポートや、地域のオリジナルコンテンツを活かした唯一無二の旅を提供する旅行エージェントです。

巖內町のまちなみ

いかにその価値に気づくか

IWANAI RESORT時代、今まで當たり前にあった雪山が、マーケティングの仕方によって、高級リゾートへと変貌していくのを目の當たりにしていた目黒さん、巖內の可能性を誰よりも感じていました。
でもそうは言っても、この限られた地域の中だけでツアーを提供することなどできるのだろうか、失禮ながらこれと言った見所は無い気がするのですが、、という取材陣の淺はかな質問にはこう応えてくれました。
?あたりまえにあることをいかに違う視點で見れるか、が大事だと思うんです。つまり価値に気づけるかですね?

目黒さんの提供するツアーというのは、こうです。
例えば、漁師さんのお宅を訪ねて、そこのお母さんと一緒に鮭をさばくという體験。お母さんの手際の良さや、いくらの輝きに歓聲があがり、一緒にご飯を食べてお母さんと別れるときにはもれなくお客さんの表情が輝いているといいます。これはもちろん、鮭をさばくという珍しい體験にも価値があるのですが、それ以上に、訪れる人を心からもてなすお母さんとの交流に価値が生まれているのです。またあるときは、町內にある帰厚院というお寺を訪ねてそこの住職と交流をします。目黒さんから一方的に寺の由來や由緒を説明するのではなく、住職から普段檀家さんに接するように話をしてもらうことで、より印象深い體験となります。寺自體も古い歴史があり、東京以北では最大の木造大仏があるなど、見るだけでも価値があるのですが、住職のユニークで暖かい人柄が、さらに出會いという価値を生みます。中には住職の話を聞いて、帰りがたいと涙する方もいるのだとか。
帰厚院の住職(左)と、たまたま訪れた住職のご友人と一緒に。実は住職も奧様とのご結婚を機に巖內に住む移住者とのこと

さらには、まちの歴史をめぐって、會津のお侍さんが始めた上田酒店という現役の酒屋さんを尋ね、代々伝わる貴重な家寶をお話とともに披露して頂いたり、といったツアーもまた大人気だそう。これも目黒さんが説明するのではなく、お侍さんの子孫である家主の方に語って頂くことで、より深く歴史を感じるという価値が生まれているのです。
つまり、提供するのはいわゆる?見所?や?景勝地?ではなく、目黒さんの見いだした?ここでしかできない體験?なのです。

上田酒店の店主と。目黒さんとはまるで親戚のようなやりとり
?これは自分の旅の仕方から生まれたスタイルです。今まで數十カ國を尋ねましたが、思い出すのは何を見たかよりも、どんな人と出會ったか、ということです。もう一度行きたいと思うのは、世界遺産や遺跡がある場所ではなく、會いたい人がいる場所なんです?

世界のセレブもうなるお壽司やさん他、プロフェッショナルぞろいの地域

目黒さんはそうしたコンテンツはきっと海外の方に喜んでもらえるという自信を持っていました。

?巖內という、THE?観光地!ではないところに來てくれる海外のゲストは、表面をなぞるだけでなくて、ディープなところを見たがる方が多いんです。それとつくられたものではなく、いかに本物をみせられるか、がポイントになります。そういう意味で、本物を見せるのにこの巖內は事欠かないんです。なぜならプロフェッショナルばかりですから!?

どういうことかさらに聞いて見ると ?例えば、まちで人気の清壽司支店さんというお壽司屋さんがあるんですけど、彼らは新しい物、さらに良い物、もっと美味しいものと常に追求しています。自分のような素人にも意見を聞いてくるんですよ、その真剣さはすごいなって思います。巖宇ってそんな職人さんがすごく多い地域です。飲食店だけじゃなく、農家さんも漁師さんも、もちろん先程お話ししたツアーの受入をお願いしている人たちも。プロとして意識の高い人がとても多くて、隣の神恵內村なんて人口900人しかいないのに、プロフェッショナルばかりで、どの店にいっても美味しいんですよ。ちなみに世界的に有名なあるF1の選手がお忍びで巖宇を訪れた際に、神恵內のお壽司屋さんにお連れしたんですが、『こんなうまい壽司食べたのは初めて! ここに連れてきてくれてありがとう』って言ってくれたんです。日常でそんなすごい人が當たり前にいて、プロの仕事ってこうゆうことだよな、と常に思わせてくれる狀況です。これは私がここにいる大きなメリットの一つです。札幌や東京だと、そんなすごい人にはなかなか會えないです。でもここではそうゆう壁や距離ががなく、自分もプロとしての仕事ができているかつねに向き合える狀況なんです?

外への発信と同時に、子どもたちに自分の住む地域の魅力に気づいてもらいたい

そんな本物に出會えるディープな體験ツアーは、確かにゲストには満足度が高いに違いありません。でもそうした體験型ツアーを提供する理由がもう一つありました。むしろそちらの理由の方が大きいのかもしれません。

?ゲストに巖宇の良さを知ってもらい、喜んでもらうのはもちろんですが、これを體験した受入側の地元の人たちが、改めてこの地域の素晴らしさに気づいてくれるといいなと思っています。特に子どもたちに!?
実は目黒さん、巖內に來た當初、殘念ながら自分たちの住む地域を?巖內なんて。。。何もない?と思っている子が多いことに気づきます。実際、90人の生徒がいたら地元に殘りたい子は數人しかいないという狀況でした。

?私のできることはこれだな!と思いました?と目黒さんは言い切ります。

子どもたちもゲストの反応を見て、何かを感じてくれるはず
?世界中を見て來ましたが、私にとってはこの巖內が一番魅力的なまちなんだということを伝えたかったし、將來外に出て行くにしても、自分の生まれ育った場所を好きでいて欲しいと思いました。それとあきらめさえしなければ、自分が思っている以上に何でも出來るし、いろんな生き方ができるんだよ、ということを伝えたいと思いました?

決めたら即行動の目黒さん、子どもたちに伝えるための活動を始めます。良いタイミングで地域の中學校から講演の依頼を受けたり、高校から職業體験の受入をする機會に恵まれたそうで、早速職業體験で來た高校生を地域を回るドライブに連れ出します。
?ここで生まれ育ったのに、行ったことが無い場所が多いということだったので、自分のお気に入りの場所や、ツアーでお世話になっている人などプロフェッショナルのもとに連れていきました。1日まわって帰ってきて感想を聞くと、『こんな素敵なところがあるなんて知らなかった!!』と言ってくれたんです?

地域の財産のひとつ。誰でも無料で參拝できる帰厚院の大仏様。
出かける前は、巖宇の地図に良いところを書き込んでもらおうとしたら、ほとんど埋まらなかったのが、ツアーから帰ってきたら、すごい勢いで書き込んでくれたんだそう。地域の魅力の一端を知った上で、実際に外國人に好きな事や趣味などをインタビューして、その人に合わせた巖宇のツアーを提案するところまでを體験してもらい、盛りだくさんの職業體験になったそう。

?仕事であるゲストへのツアー提供やサービスではしっかり料金を頂きますが、こうした、子供たちへの活動(キャリア教育)は、きれい事ではなく、無償でどんどん手伝わせて欲しいと思っています。これが自分ができる今までしてもらった事や人たちへの恩返しです?

盛りだくさんだった、子どもたちの職業體験の一コマ

伝えたいのは、特別な人が夢を葉えるんじゃない、あきらめなかった人が葉える、ということ

そして、挫折や失敗も繰り返したけど、夢に向かっていつでも全力で取り組んで來た目黒さんには、地域の素晴らしさだけではなく、子どもたちに伝えられるものがまだあるのでした。
?特別な人間じゃ無くても、あきらめずに努力すれば葉う、ということを子どもたちに知って欲しいんです!この人だからできた! と思って欲しくないんです。実際、私のような普通の人間でもいくつもの夢を葉えてきました。ただひとつ夢を葉えられた理由があるとすれば、あきらめなかったことですね。それとそこにいくまでにどれだけの想いがあるか、ですね。例えば、仮面浪人していた頃、試験の中で英語の比重が高いのに英語を身につけるすべが無く、結局英和辭典を買ってきてAからZまで全ての単語を覚えました。どうしても英語を身につけたかったので。
そんなことを子どもたちに日々伝えていたら、今ではラインとかで相談がくるんです、これがすごく嬉しい。これからも、子どもたちには『夢があるなら、絶対あきらめないこと』と伝えたいと思っています」

話してくれた「葉った夢」のあれこれは、思わず驚愕するものから、奇跡のようなものまで

これからも夢に向かって新たな目標が進行中

最後に、目標を立てたらまっすぐにそこに向かっていく目黒さんに、今現在の目標を聞いてみました。すると?ここの子供たちが、一度外に出ても、戻ってきたとき受け皿を作れるような大人でありたい?との明確な応えがかえってきました。受け皿とは具體的にはどうういうことなんでしょうか。 目黒さんの考えはこうです。

?これから近隣のニセコではさらに開発がすすみ、飽和狀態になるとさらに外(巖內含めた周辺地區)に可能性を見いだすはずです。今後は単なる観光ではなく、移住などのニーズも出てくるはずです。そしてその先には、様々な法的な手続きを請け負うことの出來る人や事業者が必要となります。そんなニーズも見據えて、今の旅行業とは別に、地道に色々なことをフェーズに合わせて準備中です。自分がそういったことも網羅できるようになれば、それだけ雇用を生み出すことも出來ると思うので?

さらっと言いますが、それは大変な時間とエネルギーを必要とするはずです。ただでさえ本業の他にも講演會やセミナーなど、あちこち飛び回って忙しいのに、その情熱にはもう驚くばかりです。そしてそんな行動が、自分のためではなく、地域の未來のためだということには本當に頭の下がるおもいです。

そのビジョンの足がかりとして、何と今やっているガイド業は自分では無く他の人にやって欲しいと言います。
?できればここで生まれ育った子にやって欲しいんです。なぜなら、自分はここの人間じゃないからです。例えば、カンボジアに行ったときにイギリス人のガイドが案內してくれました。でもそれが何となく違和感があって。愛著というよりは仕事としてやっている感じとでも言いましょうか。別の機會の時に、今度は現地の子が案內してくれたんです。この辺に當時住んでいた、とか、ここの滝でシャワーを浴びていた、とか。英語はたどたどしかったんですが、そんな本物の生きた説明を聞くことに価値を感じました。そこにお金を払いたいと思いました。だからこの地で育った子にガイドをやってもらいたいし、そんな子を増やして行きたいんです?


ちなみに、目黒さんにとってのターニングポイントがあるとすれば、どんなことだったのか聞いてみると、世界1周の旅の途中、竊盜団に荷物を全て奪われたとき、という驚きのこたえがかえってきました。結果としては親切な人に助けられ、次の町にたどり著くことが出來たのだそうですが、ショックと放心の狀態でアルプスの山岳地帯を歩いているとき、突然、目の前をおびただしい鹿の群れが走り抜けたのだそう。
?それを見たとき、言葉にならないくらい感動したんです。ああ、荷物をとられて良かった、この光景にこんなにも感動できるのは、きっと自分が今からっぽだからだ。五感ってこんなにも研ぎ澄まされるものなんだ、と思いました。それを境に一切の物欲が無くなった気がします。見える物はいつかは無くなる、執著してもしょうがない。そう思えたあの瞬間が人生の分岐點だったのかもしれません!?

見える物はいつかは無くなる。ならば、自分にとって、地域にとって一番の財産は人。その、人を育てようとする目黒さんのチャレンジははじまったばかり。
このまちに恩返しできることが楽しくてしょうがない、といった感じに終始笑顔で語ってくれた目黒さん。これからまた、どんな素敵な夢を葉えていくのか、とても楽しみです。

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住所

巖內郡巖內町字萬代4-1(商工會議所內)

URL

https://www.iwanaiunited.com/

mail : [email protected]


子どもたちに「巖內なんて」と言わせない!次の世代に私ができること

この記事は2019年10月31日時點(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治體や取材先の事情により、記事の內容が現在の狀況と異なる場合もございますので予めご了承ください。

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